2017.01.02更新

知立神社

        知立神社

所在地 愛知県知立市西町神田12
位置 北緯35度00分46.85秒
東経137度02分26.64秒
主祭神 彦火火出見尊
鸕鶿草葺不合尊
玉依比賣命
神日本磐余彦尊
社格 式内社(小)
三河国二宮
県社
本殿の様式 流造
札所等 東海道三大社
例祭 5月3日知立まつり
知立神社(ちりゅうじんじゃ、古くは ちりふ-)は、愛知県知立市にある神社。旧称池鯉鮒大明神。式内社三河国二宮で、旧社格県社。東海道三大社の一社。
社伝によれば景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の際に当地で皇祖の神々に平定の祈願を行ったという。そして無事平定を終えた帰途、その感謝のため皇祖神を祀ったのに始まるとされる。
850年には、後に知立神社の別当寺となる神宮寺天台宗の僧円仁によって建てられた。この頃に多宝塔も建てられたという。ただし現存する多宝塔は、1509年に重原城主・山岡忠左衛門によって再建されたものである。
六国史には「知立神(智立神)」に対する神階奉授の記録があり、六国史終了時には砥鹿神社(三河国一宮)とともに従四位上であった。また、『延喜式神名帳』には「参河国碧海郡 知立神社」と記載され、式内社に列している。また、三河国の二宮とされたという。ただし、当社を三河国二宮とする中世史料の記載はない。『参河国名所図絵』知立神社の項には「さなげ社伝に云、一宮とか神社、二宮知立神社、三宮さなげ神社」とあるが、その出典は明らかではない。
古来より「蝮よけ・長虫よけ」の特殊信仰があり、神札を身につければ蝮蛇に咬まれないと伝えられ、北関東から山陰地方に至る各地に分社がある。また『東海道名所図会』には、知立神社(多宝塔、古額、末社、神籬門、石橋、的場、除蝮蛇神札、御手洗池神宝古作面、芭蕉句碑)と、詳細な記載がある。
明治になり、近代社格制度においては県社に列した。

        知立神社


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