2015.04.28更新
宝寿院
所在地
愛知県津島市明神町2
位置
北緯35度10分43.94秒
東経136度43分08.26秒
山号
牛頭山
宗派
真言宗智山派
本尊
薬師如来像
創建年
818年
正式名
牛頭山 寶壽院
別称
元神宮寺
厄除け薬師
札所等
海東西新四国八十八ヶ所 62番
尾西七福神 毘沙門天
文化財
神仏分離顛末記宥三日記
天王社本地堂鰐口
公式HP
牛頭山 宝寿院
宝寿院(ほうじゅいん)は
愛知県
津島市
にある
真言宗智山派
の
寺院
。
山号
は牛頭山。
寺伝によれば、
弘仁
9年(
818年
)にこの地を訪れた
弘法大師
が蔓延する
疫病
に苦しむ人々のために津島牛頭天王社(現在の
津島神社
)の隣に堂を設けて
薬師如来像
を奉って祈祷したものが始まりとされる
[1]
[2]
。
江戸時代
、天王社には
神宮寺
として垣内に本地堂が置かれ、玉垣の西に実相院・明星院・宝寿院が並び建ち、神社から離れた場所に観音坊があった
[3]
明治時代
をむかえ、
神仏分離
に伴って神宮寺は全て廃されることになり、
1868年
(
明治
元年)旧暦5月から7月にかけて垣内にあった本地堂と
鐘楼
・
宝篋印塔
は破却された
[4]
。この際、宝寿院の住職であった宥三ら社僧の要請によって本地堂にあった本尊や経文などは実相院に一旦移されたものの、実相院・明星院の社僧が
還俗
を決めたことから同年8月に本地堂から移された仏像や仏画・宝器に加えて実相院・明星院の仏像なども宝寿院に移されることとなった
[5]
。なお、この頃すでに観音坊は無住だったため宝寿院の管理下に移された
[5]
。宥三はその後、神社や本地堂の
本寺
であった
宝生院
に対して本地堂の再建運動を行なったが
[6]
、再建は叶わなかった。
この神仏分離の経過などを記したものとして「神仏分離顛末記宥三日記」が残されており、現在は津島市指定文化財となっている。
薬師如来