天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つ[1][2][3]。2013年の観光入込客数は1,781,900人で、京都市を除いた京都府内の観光地で第1位である[4]。
天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2?3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる[5] 。
砂嘴の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積して形成されたとされている。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。
古代より奇勝・名勝として知られ、一例として平安時代の百人一首の小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」が見られる。今日広く知られている天橋立を松島、宮島と並び称した『日本三景』という語句の文献的初見は、1689年(元禄2年)に刊行された貝原益軒の著書『己巳紀行』において、天橋立について記された箇所とされている。第二次世界大戦後は1952年(昭和27年)11月22日に国の特別名勝に指定、3年後の1955年6月1日に若狭湾国定公園の指定区域となった。現在は2007年8月3日に新設された丹後天橋立大江山国定公園の指定区域となっている。
京都府、宮津市などは「天橋立−日本の文化景観の原点」という名で、文化庁に対し世界遺産暫定一覧表記載資産候補としての提案を行ったものの暫定リストに選ばれなかった。しかし、カテゴリーIa「提案書の基本的主題を基に、作業を進めるべきもの。」 という前向きな評価を受けた。2014年に「宮津天橋立の文化的景観」として重要文化的景観に選定されている。