【延喜式神名帳】治田神社 鍬靫 大和国 高市郡鎮座
【現社名】治田神社
【住所】奈良県高市郡明日香村岡964
北緯34度28分18秒,東経135度49分33秒
【祭神】品陀別天皇 素盞嗚尊 大物主神
『五郡神社記』大地主神(大己貴命之異名也)
『式内社調査報告』治田氏の祖先を奉祀したもので彦坐命
【例祭】10月10日 例祭
【社格】
【由緒】由緒不詳
【関係氏族】治田連
【鎮座地】当初は現社頭より東方の山嶺「天神山」に鎮座か
その後明日香村豊浦付近にあった
その後岡寺の移転後、現在地に鎭座
【祭祀対象】氏祖
【祭祀】江戸時代は「八幡」と称す
【社殿】本殿三間社流造破風付桧皮葺
拝殿・社務所
【境内社】
岡寺の西方尾根の上に鎮座する。
社内の敷地に礎石があり、白鳳時代の瓦が出土することから、もともとはこの地に岡寺の伽藍があったようである。
岡寺所藏の古図には当社の敷地付近に、金堂・塔などの旧地を記している。このことからすれば、当社は岡寺の移転後、此所に鎮座したことになるが、その経緯などは判明しない。
現社頭より東方の山嶺に「天神山」「天神祠阯」と呼ばれる所があり、あるいは現社は天神山より降ったかとも考えられるが不詳。
『五郡神社記』に「治田神社一座在逝回郷小治田村(今云豊浦村)」と見える。逝回郷は豊浦寺南方の飛鳥川左岸一帯を指すとされる。それによれば、当社は現在の明日香村豊浦付近にあったことになるが、その位置については判然とはしない。
治田神社は治田氏の祖先を奉祀したものと考えられ、その祭神は彦坐命であったかと考えられる。
文安(1444〜49)の頃には大己貴命の別名たる大地主神を奉祀したものと考えられる。何時の頃よりか又更に社名を八幡宮と称して応神天皇を祭り、明治になってからは治田神社となったが、祭神依然とし応神天皇を主神として、他に二柱を相殿に併祀して今日に至っている。