2016.02.22更新

橘寺


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       太子誕生所

         御詠歌

         聖徳殿

所在地 奈良県高市郡
明日香村大字橘
位置 北緯34度28分12秒
東経135度49分5秒
山号 仏頭山
宗派 天台宗
本尊 聖徳太子
開基 (伝)聖徳太子
正式名 仏頭山上宮皇院菩提寺
別称 橘寺
札所等 新西国三十三箇所
観音霊場
第10番
聖徳太子霊跡第8番
橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。史実としては、橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀天武天皇9年(680年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)とあるのが文献上の初見である。[1]
発掘調査の結果、当初の建物は、東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ、四天王寺式または山田寺式の伽藍配置だったことが判明している。発掘調査により、講堂跡の手前に石列が検出されたことから、回廊が金堂と講堂の間で閉じていた(講堂は回廊外に所在した)可能性があり、その場合は山田寺式伽藍配置となる。ただし、検出された石列の長さが短いことと、石列と講堂跡とが接近していることから、講堂の手前を回廊が通っていたか否かは明確でない。[2]
皇族・貴族の庇護を受けて栄えたが、鎌倉期以降は徐々に衰えている。
本堂(太子堂)は元治元年(1864年)に再建された建物で、本尊として聖徳太子坐像が安置されている。
観音堂には如意輪観音坐像が安置されている。
二面石は境内にある高さ約1mほどの石造物で、左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているという。
五重塔は落雷で焼失。塔心礎(心柱の礎石)が僅かに往時を偲ばせる。心礎の柱孔は円柱の周囲三方に添柱を付した形のものである。