2016.02.24更新

檜隈大内陵 天武天皇・持統天皇陵


トップページへ戻る

所在地 奈良県高市郡明日香村
位置 北緯34度28分7.52秒
東経135度48分28.17秒
形状 八角墳
規模 東西58m
高さ9m
築造年代 687年持統天皇元年)
被葬者 天武天皇・持統天皇(宮内庁治定)
史跡指定 宮内庁治定「檜隈大内陵」

野口王墓(のぐちのおうのはか)は、奈良県高市郡明日香村にある八角墳古墳時代終末期の古墳である。
宮内庁により「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」として第40代天武天皇・第41代持統天皇に治定されている。『日本書紀』には「大内陵」と記される。
墳丘は現在東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メートルの円墳状である[1]。本来の墳形は八角形・五段築成、周囲に石段をめぐらすとされる。2室からなる切石積みの石室があり、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められているとされている。本古墳は、天皇が埋葬された古墳として考えてよく、被葬者の実在性も問題がない。治定が信頼できる数少ない古代の陵墓である。同様の事例には、天智陵(御廟野古墳)を上げることができる。 しかし、本古墳は1235年(文暦2年)に盗掘にあい、大部分の副葬品が奪われた。その際、天武天皇の棺まで暴かれ、遺体を引っ張り出したため、石室内には天皇の遺骨と白髪が散乱していたという。持統天皇の遺骨は火葬されたため銀の骨壺に収められていたが、骨壺も奪い去られ、無残な事に中の遺骨は近くに遺棄されたという。