2017.06.26更新
平林貴船神社
貴船神社遺跡、この遺跡は近年発掘された製塩遺跡です。
弥生時代から古代にかけて海人族が製塩を行っていたとされ、兵庫県では初めて石敷炉が発見された貴重な遺跡です。
万葉集に「朝凪に 楫の音聞こゆ 御食つ国 野島の海人の 船にしあるらし」と詠われた「野島海人(のじまのあま)」はこの場所で製塩を行っていたと考えられています。
ここ大川公園一帯は、弥生時代から古代にかけて塩づくりを行なっていた貴船神社遺跡が存在していました。兵庫県では、はじめてこの石敷炉が確認された遺跡であり、塩づくりの課程が推測できる貴重な遺跡です。播磨灘に面した海岸部に立地しており、明石市から西播磨の海岸はもとより瀬戸内海に浮かぶ家島諸島・小豆島や四国まで遠望できます。塩づくりの遺跡は弥生時代末から奈良時代にかけて長期間にわたって継続しています。
塩づくりには、濃縮した海水を作る行程とその塩水を煮詰めて塩を取り出す2つの行程があります。そのはじめの行程には「万葉集」に見られる「藻塩焼き」をあてる考えがありますが、今回は明らかにできませんでした。調査で明らかになったのは塩を取り出す行程です。濃縮した塩水を製塩土器に入れ、石敷きの炉に並べて煮詰め塩を取り出す作業を行なっており、炉跡が22基以上確認されています。そのうちの19基は古墳時代末から奈良時代で、大阪湾沿岸では塩づくりが衰退する時期にあたります。
また、塩づくりに携わった古代人は万葉集や日本書紀にみられる野島海人(のじまのあま)と考えられます。貴船神社遺跡で最も盛んに塩づくりをした時期が野島海人の活躍したことと関係あるかもしれません。
出土遺物は多量の製塩土器の他に須恵器(すえき)・土師器(はじき)・弥生土器・新羅陶器・黒色土器・石器・鉄器・銅製帯金具があります。最も古い時期の遺物は弥生時代中期末(約1800年前)の壺があります。
製塩土器は、弥生時代末から出土しています。これから遺跡が廃絶する奈良時代まで製塩土器が含まれています。製塩土器が多いのは古墳時代末から奈良時代で、この時期が貴船神社遺跡の中心と思われます。
野島海人(のじまのあま)が使ったと思われる遺物に鉄製釣針・タコ壺・船形土器製品があります。海との繋がりを示すものとしては興味深い資料です。その他注目される遺物として新羅陶器があります。朝鮮半島から遠く運ばれてきた土器で、野島海人と海との関係の深さを示すものです。把手(はしゅ)にヘラで描かれた顔が大変ユーモラスです。