2017.07.07更新

石屋神社(いわやじんじゃ)


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        石屋神社

創立年月不詳なれども伝へいう崇神天皇(第十代天皇)の御代三対山に鎮座せられ絵島明神といい 垂仁天皇(第十一代天皇)の御代石屋明神という神功皇后(皇紀八百六十年頃)三韓征伐の際対岸 明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上に於て戦勝を祈願せられ凱旋の時又参拝ありて 報賽せらるるという延喜式の制小社に列し白河天皇(第七十二代天皇)承暦四年禍穢によりて使を派し 清祓を科すべき事を卜奏せり二条天皇(第七十八代天皇)長寛元年「天地大明神」と勅定せられ神階を 昇叙し神供田を寄進せらる源平争覇の頃岩屋浦兵火の巷と化せしかば当神社多く什宝古記録の烏有に 帰せしめたり土御門天皇(第八十三代天皇)の御代大内義興将軍義植を奉じて京都に入らんとし当地に 軍を進め三対山に岩屋城を築きし時当神社を海浜なる今の地に遷座せり池田氏淡路を領せし際社殿を再興し 寛政八年領主蜂須賀候親しく参拝し文化十四年又直参を見たり明治六年二月郷社に列せらる。