2017.02.13更新

備中松山城

別名 高梁城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 複合式望楼型2重2階(天和元年(1681年)改)
築城主 秋庭三郎重信
築城年 1240年
主な改修者 三村元親、水谷勝宗
主な城主 三村氏、水谷氏、板倉氏
廃城年 明治7年(1874年)
遺構 現存天守・櫓・塀、石垣、土塁
指定文化財 重要文化財(天守、二重櫓、土塀)
国の史跡
再建造物 櫓・門・塀
松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にあった日本の城山城)である。別名、高梁城(たかはしじょう)。「備中松山城跡」として国の史跡に指定されている。日本100名城四国愛媛県松山市にあった松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶ。城跡が国の史跡江戸時代に建造された天守や二重櫓などが重要文化財に指定されている。標高430メートルの臥牛山山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。
城のあった臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の御根小屋から約1,500m、1時間ほどの道のりの山道を経て至る。
江戸期備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓に御根小屋という御殿を構え、そこで藩主の起居・の政務を行った。
現在は城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。御根小屋の跡地には岡山県立高梁高等学校がある。

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