2015.01.26更新
平等院
所在地
京都府
宇治市
宇治蓮華116
位置
北緯34度53分21.45秒
東経135度48分27.69秒
山号
朝日山
宗派
単立
本尊
阿弥陀如来
創建年
永承
7年(
1052年
)
開基
藤原頼通
、
明尊
(開山)
文化財
鳳凰堂、阿弥陀如来坐像ほか(国宝)
世界遺産
阿弥陀如来
鳳凰堂
平等院(びょうどういん)は、
京都府
宇治市
にある
藤原氏
ゆかりの
寺院
。
平安時代
後期・
11世紀
の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「
古都京都の文化財
」として
世界遺産
に登録されている。
山号
を
朝日山
と称する。
宗派
は
17世紀
以来
天台宗
と
浄土宗
を兼ね、現在は特定の宗派に属さない
単立
の仏教寺院となっている。
本尊
は
阿弥陀如来
、
開基
は
藤原頼通
、
開山
は
明尊
である。
京都南郊の宇治の地は、『
源氏物語
』の「
宇治十帖
」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、
9世紀
末頃、
光源氏
のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の
源融
が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である
源重信
を経て
長徳
4年(
998年
)、摂政
藤原道長
の別荘「宇治殿」となったものである。道長は
万寿
4年(
1027年
)に没し、その子の関白・
藤原頼通
は
永承
7年(
1052年
)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は
小野道風
の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、
宇治川
の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌
天喜
元年(
1053年
)には、
西方極楽浄土
をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
現在の平等院は、
天台宗
系の最勝院、
浄土宗
の浄土院という2つの寺院(共に鳳凰堂の西側にある)が共同で管理している。浄土院は
明応
年間(
1492年
-
1501年
)、最勝院は
承応
3年(
1654年
)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、
天和
元年(
1681年
)、
寺社奉行
の裁定によるものである。宗教法人平等院の設立は昭和28年(1953年)である
[14]
。
1990年代
以降、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾の
コンピュータグラフィックス
による再現などが行われている。
平成
13年(
2001年
)にはそれまでの「宝物館」に代わり、「
平等院ミュージアム鳳翔館
」がオープンした。
建築家
栗生明
は、鳳翔館(
新建築
平成13年(2001年)9月号)の設計で、
日本芸術院賞
を受賞している。
平成8年(
1996年
)から平成9年(
1997年
)にかけて、鳳凰堂の右後方に15階建ての
マンション
2棟が建ち、見る方向によっては鳳凰堂の背景になってしまっている。創建当初からの風致が大きく損なわれ、これが
景観法
施行前の平成14年(
2002年
)に宇治市都市景観条例が制定されるきっかけとなった。当面の対策として平等院境内に
クスノキ
が
植樹
されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、鳳凰堂背景の景観を阻害しているマンションを完全に隠すことが期待されている
[15]
。
平成
24年(
2012年
)
9月3日
から平成26年(
2014年
)
3月31日
まで屋根の葺き替え・柱などの塗り直し修理が行われた
[16]
[17]
[18]
[19]
[20]
。この間、鳳凰堂内部の観覧は出来なくなっていた。
平成26年
10月1日
、
落成式
が行われ修理工事が完了した
[21]
。