2016.09.22更新

安房神社


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        安房神社

所在地 千葉県館山市
大神宮589
位置 北緯34度55分20.80秒
東経139度50分12.25秒
主祭神 天太玉命
社格 式内社名神大
安房国一宮
官幣大社
別表神社
創建 (伝)初代神武天皇元年
本殿の様式 神明造
別名 大神宮
例祭 8月10日
主な神事 置炭神事(1月14日
粥占神事(1月15日
神狩祭(12月26日
安房神社(あわじんじゃ)は、千葉県館山市大神宮にある神社式内社名神大社)、安房国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
千葉県南部、房総半島最南端部の吾谷山(あづちやま)山麓に鎮座する神社である。伝承では、神話時代阿波地方(現在の徳島県)から渡ってきた忌部氏(いんべうじ、斎部氏)による創建といい、「安房」の国名・社名はこの阿波忌部の移住・開拓から起こったといわれる。
古代の安房国アワビの貢進地として朝廷から重要視され、安房国の中心的神社である安房神社もまた古くより重要視された。特に、全国でも数少ない神郡が設置された点や、出雲国造出雲大社奉斎氏族)・紀伊国造和歌山日前國懸神宮奉斎氏族)に並び安房国造律令制下でも祭祀を担った点、および宮中の大膳職にも「御食津神」として祀られていた点が特筆される。中世以降は安房国の一宮に位置づけられ、明治維新後も近代社格制度で最高位の官幣大社に位置づけられたように、歴史を通じて崇敬を集めた古社になる。
境内は、抜歯習俗を示す人骨多数を包含した洞窟遺跡の発見でも知られ、その遺跡(現在は埋没)は千葉県指定史跡に指定されている。また、社宝のうちで八陵鏡・円鏡などの文化財を伝世するほか、阿波忌部の開拓に因んだ祭礼が現在まで続けられている。
延喜式神名帳での記載は「安房坐神社」の1座。同帳ではそれに続けて式内大社「后神天比理乃当ス神社(天比理刀当ス神社)」の記載がある。これは安房坐神社の后神(妃神/妻神)を祀る神社と見られ、現在では洲崎神社(館山市洲崎)・洲宮神社(館山市洲宮)に比定されているが、いつの頃からか安房神社でも上記のように相殿神として併祀されている。
神名帳の記す「安房坐神社」とは「安房に鎮座する神の社」の意味になり、この記載からは元々の神格を明らかとしない。その具体的な神格を巡っては後述のように『古語拾遺』・『先代旧事本紀』・『高橋氏文』逸文の記述を基に諸説があるが、現在の安房神社由緒では上記のように忌部氏祖神の天太玉命を指すとしている。