2017.01.30更新
醍醐寺
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五大力尊
薬師如来
慈氏殿
根本准胝尊
御詠歌
神変
所在地
京都府
京都市
伏見区
醍醐東大路町22
位置
北緯34度57分5.4秒 東経135度49分18.4秒
山号
醍醐山、深雪山(上醍醐寺)
宗派
真言宗醍醐派
寺格
総本山
本尊
薬師如来
(重要文化財)
創建年
貞観
16年(
874年
)
開基
聖宝
札所等
真言宗十八本山
第十二番
近畿三十六不動尊
第二十三番(上醍醐)
西国三十三所
第十一番(上醍醐)
西国薬師四十九霊場
第三十九番
役行者霊跡札所
文化財
醍醐寺境内(史跡)
金堂、五重塔、
木造薬師如来及両脇侍像ほか(国宝)
清滝宮本殿、絹本著色阿弥陀三尊像、
木造薬師如来及両脇侍像ほか(重要文化財)
三宝院庭園
(特別史跡、特別名勝)
世界遺産
醍醐寺(だいごじ)は、
京都府
京都市
伏見区
醍醐東大路町にある、
真言宗醍醐派
総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は
薬師如来
、開基(創立者)は理源大師
聖宝
である。
古都京都の文化財
として
世界遺産
に登録されている。
伏見区
東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。
豊臣秀吉
による「
醍醐の花見
」の行われた地としても知られている。
醍醐寺の創建は
貞観
16年(
874年
)、
空海
の孫弟子にあたる理源大師聖宝が
准胝観音
並びに
如意輪観音
を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。
醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの
修験者
の霊場として発展した後、
醍醐天皇
は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。
その後、
応仁の乱
など戦乱で下醍醐は荒廃し、
五重塔
のみが残された。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、
紀州
などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となった。
上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で1時間は要する。
下醍醐は本尊薬師如来を安置する「金堂」「
三宝院
」などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がる。
応仁の乱
でほぼ全焼し、その後も焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に残る。また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像として現存最古のものである。
上醍醐は
西国三十三所
第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて
女人結界
があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である
清瀧権現
拝殿(国宝)、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂(重文)と開山堂(重文)と
白山大権現
が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。