2016.09.30更新

馬場都々古別神社


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       都々古別神社

所在地 福島県東白川郡棚倉町棚倉字馬場39
位置 北緯37度1分55.46秒 東経140度22分33.30秒
主祭神 味耜高彦根命
社格 式内社名神大論社陸奥国一宮
国幣中社、別表神社
創建 (伝)大同2年(807年
(創祀:(伝)第12代景行天皇年間)
(一説に弘仁2年(811年)頃の創建)
本殿の様式 三間社流造
別名 馬場明神
札所等 近津三社
例祭 9月11日
都都古和氣神社(つつこわけじんじゃ、馬場都々古別神社(棚倉町棚倉の都都古和氣神社の由緒書では、正式名称は「都都古和氣神社」、「馬場」を冠する場合は「馬場都々古別神社」と表記される。))は、福島県東白川郡棚倉町棚倉にある神社式内社名神大社論社陸奥国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社
社記(文禄3年(1549年)の社蔵縁起)によると、第12代景行天皇の時に皇子日本武尊が奥羽に至り、都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に鉾を立てて味耜高彦根命を地主神として祀ったのが創祀とする。その後、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が現在の棚倉城の地に社殿を造営し、日本武尊を相殿に配祀した。そして現在地に遷座したのは寛永2年(1625年)になるという。
創祀地とされる建鉾山は5世紀代の東北有数の祭祀遺跡として知られる。一方、前述のように弘仁2年(811年)頃の陸奥・常陸間の新道設定に伴う創建と推測する説もある。
続日本後紀承和8年(841年)条の「都々古和気神」、ならびに延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳名神大社「都都古和気神社」の論社とされる。
中世からは山岳信仰が入って修験化し、別当の高松家が管掌した。別当寺は不動院。高松家の系譜によれば、建武年間(1334年-1338年)からこの高松家が高野郡北郷一帯の宗教・政治・軍事面を掌握し、同じく南郷を掌握した八槻都々古別神社別当の八槻家と並立したとされる。
近世には代々の領主から社領寄進・社殿造営を受けた。寛永2年(1625年)には、棚倉藩主丹羽長重棚倉城を築城するに際して棚倉城跡から現在地に移築・遷座されている。この際に別当高松家は還俗して藩家老となった。社領は近世初期で363石であったが、慶長8年(1603年)に150石となった。
明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において国幣中社に列した。明治8年(1875年)から3年間は、会津藩家老を務めた西郷頼母(保科近悳)が馬場都々古別神社宮司を務めたことが知られ。戦後は神社本庁別表神社に列している。
社殿のうち本殿は、文禄3年(1594年)の佐竹義宣による再建とされる。寛永2年(1625年)の神社遷座の際に、元々の棚倉城の地から移築されたという。三間社流造で南面し、屋根は銅板葺。彫刻がないなど全体に簡素な造りになるほか、東北地方では数少ない桃山期の本殿建築とされる。この本殿は国の重要文化財に指定されている。
なお本殿後背には「馬場古墳」と称される古墳がある。