2015.04.27更新
福山城
別名
久松城、葦陽城
城郭構造
輪郭式平山城
天守構造
複合式層塔型5重6階(
1622年
)
(
1966年
RC造
復興)
築城主
水野勝成
築城年
1622年
主な改修者
阿部氏
主な城主
水野氏、松平氏、阿部氏
廃城年
1874年
遺構
櫓・門・鐘楼、石垣
指定文化財
国の重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門)
福山市重要文化財(鐘楼)
再建造物
天守、月見櫓、御湯殿
位置
北緯34度29分27.74秒
東経133度21分40.04秒
福山城(ふくやまじょう)は
広島県
福山市
丸之内1丁目にあった
日本の城
で、城跡は国の
史跡
に指定されている。久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる。日本における
近世
城郭円熟期の代表的な遺構であり、
2006年
2月13日
、
日本100名城
に選定された。
福山城は
元和
8年(
1622年
)に完成した。新規の築城としては近世城郭で最も新しい城で、
備後福山藩
の藩庁かつ藩主の居城であった。形式は輪郭式の
平山城
で、かつては2重の
堀
や
瀬戸内海
へ抜ける
運河
を持ち五重の
天守
と7基の
三重櫓
を有する大規模な城郭であった。昭和初期までに城北側にある堀をかねた吉津川以外の全ての堀が埋められ、三の丸は大半が市街地と化すなど遺構の破壊が進み、
石垣
も概ね本丸と二の丸の大部分と三の丸のごく一部に残り櫓は1基が現存するのみとなっている。三の丸南側は
JR
福山駅
が東西に貫き
新幹線
や
福塩線
のホームから間近に本丸を望むことができる。
現存する建造物としては伏見櫓と筋鉄御門(共に国の
重要文化財
)があり、筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・月見櫓は福山城の築城時に
伏見城
から移築されたもので、伏見櫓のみ現存の櫓では最古の建築である。
天守
は
昭和
20年(
1945年
)まで残されていたが
福山大空襲
により焼失している。現在の建物は昭和41年(
1966年
)に月見櫓、御湯殿と共に復興された鉄筋コンクリート製のものである。再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され、天守最上階の回縁からは市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。