2015.10.22更新

貫前神社

        貫前神社


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所在地 群馬県富岡市一ノ宮1535
位置 北緯36度15分18.55秒
東経138度51分27.55秒
主祭神 経津主命
姫大神
社格 式内社名神大
上野国一宮
国幣中社
別表神社
創建 (伝)安閑天皇元年(531年?)
本殿の様式 貫前造
別名 抜鉾神社
例祭 3月15日
主な神事 水的神事、巫射、御戸開祭
鎮神事、酒御造行事
川瀬行事、鹿占神事
機織神事
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)は、群馬県富岡市一ノ宮にある神社式内社名神大社)、上野国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社
群馬県南西部、鏑川左岸の河岸段丘上に鎮座し、信州街道に面する。当社は物部氏が祖神を祀ったことに始まり、古代には朝廷から、中世以降は武家からも崇敬された。
境内は正面参道からいったん石段を上がり、総門を潜ったところから石段を下ると社殿があるという、いわゆる「下り宮」と呼ばれる配置となっている。社殿は江戸時代に第3代将軍徳川家光・第5代綱吉により整えられ、本殿・拝殿・楼門等が重要文化財に指定されている。また、鹿占習俗(国選択・県指定無形民俗文化財)を始めとした多くの特殊神事を行っている。
社伝によると、創建は安閑天皇元年(531年?)3月15日、鷺宮(現 安中市の咲前神社に比定)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりといわれる。その後、天武天皇2年(私年号では白鳳2年、673年)に最初の奉幣が行われた。
一方、室町時代成立の『神道集』には、安閑天皇2年(532年?)3月中頃に抜鉾大明神が笹岡山に鉾を逆さに立てて御座、白鳳6年(677年[注 2]3月に菖蒲谷に社壇が建立されたと記載されている[2]