2016.07.05更新

福傳寺


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         不動明王

多摩四国八十八ヶ所第七十七番札所安榮山明王院福傳寺である。当山は天文年間(一五二三〜一五五四)以前に子安村(南口前に開創されたもので、恐らく天文二年(一五二三)以前)に賢栄によって開山された。入寂は天文四年十月二十八日である。子安神社所蔵の懸仏銘文に「天文二十二年十一月造立願主権大僧都清栄敬白」と二世清栄の名が刻まれている。江戸時代には子安明神社領六石を賜り子安明神社(子安神社)の別当として社務を司って来た。明治維新の神仏分離令によって別当は廃止され其の職を去り同十三年清水寺を合弁し其の寺地に移った。本堂内には本尊不動明王の外に弘法大師像(一尺五寸)十一面観音が奉安されている。弘法大師像裏には天保三年(一八三二)大師一千年忌に当り仏師高橋等谷により修復が加えられた墨書銘がある。当山は昔からの「武相観音霊場」第十五番札所で十一面観音像は元禄十四年三月江戸の石原源次春の開基になる観音堂(三間半四方)の本尊で通称子安観音といわれ其の御詠歌に「かい人の女人をまもる観世音、子安村とぞ聞くもたのもし」と歌われている如く安産の観音様で昔より村内に難産の者無しといわれ今も厚く信仰を集めている。現在の堂字は昭和二十年八月二日戦災に遭い戦後再建されたものである。