2015.11.04更新

増島天満神社(増島城)&御蔵稲荷神社


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「飛騨古川きつね火まつり」
飛騨古川に古くから伝わるおとぎ話が今に蘇る幻想的な祭り「飛騨古川きつね火まつり」が、2015年9月26日(土)に、岐阜県飛騨市古川町内にて行われる。
飛騨古川に伝わる『きつねの嫁入り物語』を具現化したという「きつね火まつり」は、暗闇の中、松明の明かりを灯しながら、数十人にも及ぶきつねの嫁入り行列が、町内の古い街並みや瀬戸川沿いを練り歩くという幻想的なお祭り。
円光寺・本光寺・真宗寺の各寺から出発した「きつね火まつり」の行列は、古川の町を厳かに通り、まつり広場で出会ったきつねの花婿と花嫁は、幻想的な結婚の儀を行う会場に向かって歩みを進める。
もともとは御蔵稲荷神社の例祭の一部としてはじまり、その行列を見た人には、五穀豊穣や家内安全、商売繁盛などの願いが叶えられると言われ、沿道や広場には多くの人が集まるという。

毎年9月の第4土曜日に行われ、主役の花婿花嫁は全国からの応募により決定する。嫁入り行列やあきんど村、婚礼の儀などの催し物をはじめ、街角できつねメイクをしてくれるサービスも実施するとのこと。
別名 特になし
城郭構造 平城
築城主 金森長近
築城年 1586年
主な改修者 なし
主な城主 金森氏
廃城年 1695年
遺構 石垣、堀、天守台
指定文化財 県指定史跡
位置 北緯36度14分4秒
東経137度11分32.5秒
増島城(ますしまじょう)は岐阜県飛騨市にかつて存在した日本の城で、北飛騨唯一の平城古川国府盆地の中央、荒城川沿いに位置する。
金森長近1585年天正13年)に三木氏の治めていた飛騨国を攻略して領国とし、本城の高山城および支城の萩原諏訪城、増島城を築いた。増島城の建設は1586年(天正14年)であり、完成すると長近の養子・金森可重古川城から移って城主となった。
長近が1608年慶長12年)に没して後継者の可重が高山城に入ると、その長子・金森重近が増島城主となった。可重の死後はその三男である金森重頼が跡を継ぎ、重近は出家して京都に去った。その後は家臣が入ったと思われるが、1619年元和元年)の一国一城令にともない廃城となって古川旅館と改称し、萩原諏訪城と同様に金森氏の別邸となった。1692年元禄5年)に金森氏は出羽国上山藩へ移封され、1695年(元禄8年)に高山城とともに破却された。
城が破却された後は書院は本光寺、城門は林昌寺、円光寺、本光寺などに与えられたとされる。火災にあった本光寺以外の林昌寺、円光寺には山門として現存する。現在本丸跡には飛騨市立古川小学校と増島天満神社があり、神社の境内には本丸櫓台の石塁と、小学校建設当時にそのほとんどが埋め立てられた堀の一部が残り、それらが増島城跡として県の史跡に指定されている[1]