2015.02.17更新
東本願寺名古屋別院
所在地
愛知県名古屋市中区橘2-8-55
位置
北緯35度9分8.09秒
東経136度54分7.05秒
宗旨
浄土真宗
宗派
真宗大谷派
寺格
別院
本尊
阿弥陀如来
創建年
元禄
3年(1690年)
開基
一如
別称
(名古屋)東別院、東御坊
公式HP
お東ネット
真宗大谷派名古屋別院(しんしゅうおおたにはなごやべついん)は、
愛知県
名古屋市
中区
にある
真宗大谷派
の
寺院
である。同派の
別院
。
真宗本廟(東本願寺)
を
本山
と仰ぐ。開基は、
東本願寺第十六代法主 一如
[1]
。通称は、「東別院」、「東御坊」、「名古屋東別院」、「東本願寺名古屋別院」。
元禄
3年(1690年)、
尾張藩
第2代藩主・
徳川光友
より
織田信秀
の居城・
古渡城
の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。尾張の6つの寺が、この地に布教の拠点を置くことを本山に願い出たが、当初は他の寺から猛反対を受けた。
文化
2年(1805年)、五代惣兵衛が本堂を再建した。惣兵衛はこのためだけに真宗へ改宗し、さらに本山である
東本願寺
に多額の寄進をしたことにより、使用する材木の調達を一手に請負うことに成功。
文政
6年(1823年)、新たな本堂が竣工した。この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失。緊急の措置として、別院(当時の呼称は「名古屋御坊」)の古御堂が東本願寺の本堂とされた。
明治期には、愛知県庁や愛知県議会の機能が同地に設置された。
明治
7年(1874年)5月1日から6月10日にかけて開催された、「名古屋博覧会」の会場としても使用された。同博覧会では
名古屋城
の
金鯱
や地元の名産が展示され、好評につき、当初5月31日までの予定であった会期は10日延長された。
昭和
20年(1945年)3月12日、
名古屋大空襲
の被害を受け、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。現在の本堂は、戦後再建されたものである。