2016.07.20更新

石切劔箭神社


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       石切劔箭神社

所在地 大阪府東大阪市東石切町
1-1-1(本社)
大阪府東大阪市上石切町
2丁目(上之社)
位置 北緯34度40分55.9秒
東経135度38分46.5秒
主祭神 可美真手命
および饒速日尊
社格 式内小社、村社
創建 伝・神武天皇二年
例祭

4月15日4月16日(春季大祭)
8月3日8月4日(夏季大祭)
10月21日
10月22日(秋季大祭)

石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)は、大阪府東大阪市にある神道石切教の神社。 延喜式神名帳に記載されている河内郡の式内小社。「石切劔箭命神社二座」。
「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の本社本殿に合祀された。その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。
昭和50年には東京都文京区に分祀され「石切東京分祀」が鎮座している。
上之宮の、さらに奥には「奥宮」があるが、荒廃している。