2016.07.21更新
水尾神社
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水尾神社
千姫天満宮
男山八幡宮
所在地
兵庫県
姫路市
山野井町
1-3
位置
北緯34度50分28.5秒 東経134度41分22.4秒
主祭神
大己貴命
・
伊和大神
例祭
11月
主な神事
御神幸・湯立神事
水尾神社(みおじんじゃ)は
兵庫県
姫路市
山野井町
にある
神社
。
男山
の麓に鎮座している。同市内
安富町
にある
水尾神社 (姫路市安富町)
は「みずおじんじゃ」と読む。
古くは
伊和大神
を祀り、
565年
から
大己貴命
を祀ったとされる。
764年
(
天平宝字
8年)
6月11日
-
飾磨郡
伊和里水尾山(現在の姫路市山野井町)に
兵主神
を祭祀する。
787年
(
延暦
6年) -
坂上田村麻呂
が兵主神を飾磨郡
国衙
小野江梛本(現在の姫路市本町)に遷座する(現在の
播磨国総社
)。周辺の民が男山に祠を建てて祀った。このため水尾神社は播磨国総社の元宮といわれている。
1619年
(
元和
5年) -
本多忠政
が
姫路城
を増築する際、神守岡より
岡大歳社
を遷座し社殿を造営する。
1983年
(
昭和
58年) - 屋台を新調する。
平成?年 -
社殿
を新築する。
千姫天満宮(せんひめてんまんぐう)は
兵庫県
姫路市
山野井町
にある
神社
。
男山
の中腹に鎮座している。
1623年
(
元和
9年)3月 -
千姫
(
徳川家康
の孫、
豊臣秀頼
正室)によって創建される。
2002年
(
平成
14年)4月 -
社殿
を新築する。
千姫は
天神
(
天満宮
・
菅原道真
)を信仰しており天神の
木像
を祀っていた。
1615年
(
慶長
20年
[2]
)の
大坂夏の陣
で秀頼が
自害
し千姫は寡婦となるが、その翌年、
1616年
(
元和
2年)には
本多忠刻
と再婚。
1617年
(元和3年)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い姫路の
天門
(乾・北西)の鎮めとするため1623年(元和9年)3月に男山に天満宮を建立し6枚の
羽子板
を奉納した。千姫が生活していた
姫路城
西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫は長局の廊下から拝礼していたと伝わる。
千姫が奉納した羽子板に肖って
絵馬
は羽子板の形になっており、麓の店で販売している。また、
切手
を貼れば郵便物として郵送も可能。
学業成就の他、忠刻と千姫の夫婦仲の良さから恋愛成就の
御利益
もあるといわれている。
男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう)は
兵庫県
姫路市
山野井町
にある
神社
。
男山
の中腹に鎮座している。
1345年
(
貞和
元年) -
赤松貞範
が
国府
姫路の姫山に城(
姫路城
)を築く際に京都の
岩清水八幡宮
より
分霊
し男山に祀る。城の鎮守社として歴代城主の信仰も厚かった。
1679年
(
延宝
7年) -
松平直矩
が
社殿
を修理した。麓の参道入り口に現在残っている
石鳥居
は、この時に寄進された物。
1716年
(
正徳
6年) -
榊原政邦
が社殿を新築再建した。社殿の前に現在残っている
石鳥居
は、この時に寄進された物で武運長久・家門繁栄を願った文章が刻まれている。政邦は「男山八景」の和歌も詠んでいる。
1987年
(
昭和62年
)10月16日 - 放火で建物を焼失した。
1990年
(
平成2年
)9月 -
本殿
・
幣殿
・
拝殿
を再建した。
水尾神社
千姫天満宮
所在地
兵庫県
姫路市
山野井町
1-3
位置
北緯34度50分29.5秒
東経134度41分20.1秒
主祭神
菅原道真
創建
1623年
(
元和
9年)3月
例祭
梅花祭
男山八幡宮
所在地
兵庫県
姫路市
山野井町
位置
北緯34度50分30.4秒 東経134度41分21.4秒
主祭神
八幡神
創建
1345年
(
貞和
元年)
例祭
厄神祭(2月)、観月祭(9月)