2014.05.04更新

神戸・異人館

異人館(いじんかん)とは、幕末・明治時代以降(主として明治時代)の日本において、欧米人が居住するために住宅として建設した西洋館(ただし、日本人が住んでいた洋風住宅も誤って異人館と呼ばれることがある)。
従来の日本家屋とは異なる西洋式の住宅に異邦人(異人)が住んだことにより異人館と呼ばれる。
開国から明治前期まで、外国人の住まいは原則として居留地に限られていた。ただし、お雇い外国人は例外だったという。条約改正との関連で明治32年(1899年)以降、内地雑居が認められ、旧居留地以外の高台などにも建設されるようになった。群として多く残っているのは神戸、長崎である。横浜、函館では異人館という呼び方は一般的でないとされる。
長崎のグラバー邸は設計者不明であるが、施工は地元の大工が行っており、日本の職人がいち早く西洋建築の技術を採り入れていたことがうかがえる。外国人建築家としては神戸で活躍した英国人A.N.ハンセルらがよく知られる。
北野町山本通(きたのちょうやまもとどおり)は、兵庫県神戸市にある地区名、伝統的建造物群保存地区の名称。明治大正期に建てられた洋風建築物(異人館)が数多く残存することから、中央区北野町山本通一丁目から山本通三丁目界隈の地域をこのように一括して呼ぶことがある。
北野町および山本通界隈には、明治20年代から大正期(19世紀末〜20世紀初)にかけて建設された洋風住宅(いわゆる異人館)が多数残り、それらが和風住宅と混在して調和のとれた街並みを形成している。神戸市は文化財保護法及び神戸市都市景観条例に基づき、こうした伝統的建造物群が集中して残る、東西約750メートル、南北約400メートルの地区を伝統的建造物群保存地区に定めた。当該保存地区は、1980年に「神戸市北野町山本通伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。種別「港町」としては全国初の選定である。保存地区内では、洋風建築物34棟、和風建築物7棟等が伝統的建造物として特定され、保存措置が講じられている。
江戸幕府は、1858年、アメリカと結んだ日米修好通商条約など五か国と安政の五か国条約を締結し、箱館(函館市)、新潟(新潟市)、神奈川(横浜市)、兵庫(神戸市)、長崎(長崎市)の5か所の港を開くことになった。条約では、開港地には外国人居留地を設けることが義務付けられ、兵庫では近くの神戸村の海岸沿いの地区が居留地と定められた。しかし、この居留地の整備が思うように進まなかったことから、周辺地区にも外国人住宅の建設が進められた。外国人居留地の北方、六甲山麓に位置する北野町山本通はそうした地区の1つである。神戸の中心部である商工業地域とはやや離れており、また外国人居住区ということで神戸大空襲の対象とされなかったことが幸いし、垂水区ジェームス山などと並んで、戦前の神戸の優雅な雰囲気を残す稀少な街並みとなっている。