分類 |
国・重要文化財 |
種別 |
建造物 |
所在地 |
稲沢市長野3-2-57 |
所有者等 |
萬徳寺 |
指定(登録)年 |
明治34年(1901) |
時代 |
室町後期 |
萬徳寺は、由諸書や縁起によると、神護景雲(768)に、称徳天皇の勅願によって慈眼上人が創建し、草堂に阿弥陀三尊を安置したという。
その後、木曽川の決壊などにより本堂は荒廃し、承和元年(834)に弘法大師空海が当地へ巡歴したおり、真言の道場として再興した。本堂の裏手には、如意宝珠を埋納したという。空海が奈良県の室生寺と山形県の恩徳寺とともに三ヶ所に如意宝珠を埋納されていることは広く知られている。
年は移り、天暦年中(947〜956)には火災、永祚元年(989)の風難で、また伽藍は破滅したと伝えられている。
常円上人は建長6年(1254)に本堂、鎮守堂等を建立した。その後は名僧の努力によって、寺は繁栄し尾張国真言宗の本山と称し、53以上の末寺を持つほどになった。
豊臣秀吉以来53石の寺領持っていた。従って、多数の仏画、典籍類が所蔵されており由緒深き古刹である。
昭和44年(1967)11月に、不慮の災禍にあい、威容を誇った本堂は灰塵と化してしまった。幸いにも秘蔵されていた多くの文化遺産は宝蔵にあり無事であった。
萬徳寺の文化財は、国、県、市の指定は34点におよぶ。
鎮守堂は、享禄3年(1530)に建立されたものである。桁下1.8m、梁間1.5m一間社流造、桧皮葺きの小社である。