2015.10.29更新

犬山城


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別名 白帝城
城郭構造 平山城
天守構造 複合式望楼型 3層4階地下2階(1620年改)
築城主 織田広近
築城年 1469年(文明元年)
主な改修者 織田信康
主な城主 石川氏、平岩氏、成瀬氏、織田氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 現存天守、石垣、土塁
指定文化財 国宝(天守)
再建造物 櫓、門(模擬)
位置 北緯35度23分17.96秒
東経136度56分21.34秒
犬山城(いぬやまじょう)は、愛知県犬山市にあった日本の城である。現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城松本城彦根城松江城)。
木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。
前身となる砦を織田信長叔父織田信康が改修して築いたものを石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。この際の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したという「金山越」の伝承がある。江戸時代には尾張藩付家老が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年元和3年)ごろである。2004年まで、城主であった成瀬氏が個人所有する文化財であったが、個人所有では維持に非常に困難が伴うことから、成瀬一族の中から城主に選ばれた成瀬淳子(13代当主成瀬正浩の妹)は財団法人『犬山城白帝文庫』を設立して理事長に就任し、犬山城は個人所有でなくなった[1]