2014.05.29更新

石見銀山

英名 Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
仏名 Mine d'argent de Iwami Ginzan et son paysage culturel
面積 442 ha
(緩衝地域 3,221 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3), (5)
登録年 2007年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めていたという[1]。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。明治期以降はなどの鉱物が主に採鉱された。
鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年昭和44年)に国によって史跡に指定。2007年平成19年)6月28日ニュージーランドクライストチャーチで開催されていた世界遺産委員会ユネスコ世界遺産(文化遺産)への登録が決まり、7月2日に正式登録された。一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている[2](後述の「登録までの経緯」の節参照)。2007年には日本の地質百選にも選定されている。
初期には仙ノ山山頂付近から自然銀に富む福石(ふくいし)が主に産出し、開発が進行するにつれ地下深くなり、銀を多く含む黄銅鉱黄鉄鉱方鉛鉱などの永久鉱床(えいきゅうこうしょう)の採掘に移行していった。

城上神社

勝源寺

井戸神社

西性寺

観世音寺

旧大森区裁判所

榮泉寺

西本寺

豊栄神社

極楽寺

安養寺

奉行代官墓所

妙正寺

清水寺

吉岡出雲墓

佐毘売山神社

龍源寺間歩