2017.02.21更新

英勝寺


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       南無阿弥陀佛

所在地 神奈川県鎌倉市
扇ガ谷1-16-3
位置 北緯35度19分30.5秒
東経139度32分59.5秒
山号 東光山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 寛永13年(1636年
開山 玉峯清因尼
開基 英勝院
正式名 東光山 英勝寺
札所等 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉6番
文化財 仏殿など建造物5棟、
阿弥陀如来及両脇侍像龕
(国の重要文化財

英勝寺(えいしょうじ)は神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある浄土宗の寺院であり、現在、鎌倉唯一の尼寺である。山号は東光山。寺域は、開基英勝院尼の祖先であり、扇谷上杉家家宰であった太田道灌邸跡地とされる。
東国花の寺百ヶ寺鎌倉6番札所。
徳川家康側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した。
創建にあたっては、徳川頼房の娘小良姫を7歳の時に玉峯清因と名付け得度させ、これを門主に迎え開山とした。英勝院尼は寛永19年(1642年)没し、英勝寺裏山に葬られた。寛永14年(または15年)に寺領朱印地として池子村(現逗子市池子)420石を与えられたほか、裏山にあたる源氏山(旗立山)も与えられている。
創建の経緯から、その後も代々の住持は水戸家の姫が務め、このため英勝寺は「水戸御殿」や「水戸の尼寺」とも呼ばれた。高貴な姫である住持は人前に出ることはなく、折々の法要は芝増上寺や、鎌倉材木座光明寺の僧が勤めていたという。
しかし明治維新を機に水戸家からの住持は絶え、寺勢は衰えた。その後、明治28年(1895年)に松平家より住持を迎え、さらに大正8年(1919年)以降は東京青山善光寺より住職を招請し、今日に至る。
大正12年(1923年)の関東大震災では山門、庫裏、蔵が倒壊するなど大きな被害を受け、山門はそのまま鎌倉市内山王ヶ谷(小町3丁目)の資産家に売却されたが、有志による復興事業により旧地の礎石上に復興され、2011年5月16日に落慶式が行われた。
仏殿、山門、鐘楼は寛永20年(1643年)の建立。祠堂、祠堂門も同じ頃の建立と推定される。各建物は本格的な禅宗様になり、仏殿、山門、鐘楼は屋根を反りのない直線で構成する点に共通点がみられる。