2017.02.18更新
寿福寺
トップページへ戻る
釈迦牟尼佛
所在地
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
位置
北緯35度19分27秒 東経139度32分56.5秒
山号
亀谷山(きこくさん)
宗派
臨済宗建長寺派
寺格
鎌倉五山
三位
本尊
釈迦如来
創建年
1200年
(
正治
2年)
開基
北条政子
、
栄西
(開山)
正式名
亀谷山 寿福金剛禅寺
札所等
鎌倉三十三観音
第24番
鎌倉二十四地蔵 第18番
鎌倉十三仏霊場
第4番(
普賢菩薩
)
文化財
木造地蔵菩薩立像(鎌倉国宝館に寄託)・銅造薬師如来坐像・喫茶養生記(重文)
寿福寺(じゅふくじ)は、
神奈川県
鎌倉市
扇ヶ谷
にある
臨済宗建長寺派
の
寺院
である。
鎌倉五山
第3位の寺院である。
山号
を亀谷山(きこくさん)と称し、寺号は詳しくは寿福金剛禅寺という。本尊は
釈迦如来
、開基(創立者)は
北条政子
、開山(初代住職)は
栄西
である。
鎌倉三十三観音霊場
の第24番。
鎌倉二十四地蔵
の第18番。境内は「寿福寺境内」として
1966年
(
昭和
41年)3月22日、国の
史跡
に指定された。
源頼朝
が没した翌年の
1200年
(
正治
2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。
もともと現在の寿福寺のある付近は、
奥州
に向かう
源頼義
が勝利を祈願したといわれる
源氏山
を背にした、
亀ヶ谷
と呼ばれる源氏家父祖伝来の地であり、頼朝の父・
源義朝
の旧邸もこの地にあった。
1180年
(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(
幕府
)を構えようとしたが、すでに
岡崎義実
が堂宇を建て義朝の菩提を弔っていたことや、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。
創建当時は
七堂伽藍
を擁し、14の
塔頭
を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは
1278年
(弘安元年)頃と推定されている。
1247年
(宝治3年)に火災にあい、
1258年
(正嘉2年)の火災では一宇を残さぬまで焼失している。これらの復興は、伝実朝墓五輪塔などの存在から、おそらく
南北朝時代
の頃と思われる。
寿福寺には2世
退耕行勇
をはじめ、
心地覚心
、
円爾
(弁円)、
蘭渓道隆
、
大休正念
など、多くの名僧が入寺した。鎌倉の禅宗文化を考える上で、重要な存在の寺院である。
鎌倉初期に高い寺格をもって繁栄したが、「
海道記
」や「
東関紀行
」の作者は、寿福寺についてふれるところがない。
境内には、総門、中門、仏殿、庫裏(くり)、鐘楼などが建つ。仏殿は1664年(寛文4年)の再建である。
境内裏手の墓地には、
陸奥宗光
、
高浜虚子
、
星野立子
、
大佛次郎
などの墓があり、さらにその奥の
やぐら
(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と
源実朝
の墓と伝わる
五輪塔
がある。
なお、総門から中門までの参道と裏山の墓地は公開されているが、中門から内側の境内は一般公開されていない。