2017.06.14更新
鎌倉宮
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鎌倉宮
所在地
神奈川県鎌倉市
二階堂154
位置
北緯35度19分34.5秒
東経139度34分0.6秒
主祭神
護良親王
社格
等
官幣中社
創建
明治2年(1869年)
例祭
8月20日
鎌倉宮(かまくらぐう)は、
神奈川県
鎌倉市
二階堂
にある
神社
である。
護良親王
(もりながしんのう)を祭神とする。
建武中興十五社
の一社で、旧
社格
は官幣中社。
神社本庁
の包括下には当初より入っていない
単立神社
。別名 大塔宮(おおとうのみや)。
祭神である護良親王は
後醍醐天皇
の皇子で、父とともに
鎌倉幕府
を倒し
建武中興
を実現したが、その後、
足利尊氏
との対立により足利方に捕えられて
東光寺
に幽閉され、
建武
2年(
1335年
)の
中先代の乱
の混乱の中で尊氏の弟の
直義
の命で、家来である
淵辺義博
(ふちべのよしひろ)によって殺められた。
武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、
明治
2年(
1869年
)2月、
明治天皇
は
護良親王
を祀る神社の造営を命じた。7月15日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営された。
明治6年
4月16日に明治天皇は鎌倉宮を行幸、同年6月9日に鎌倉宮は
官幣中社
に列格した。
1939年
(昭和14年)1月18日、
日本郵船
の客船「
秩父丸
」は「鎌倉丸」と改名する。客船「
氷川丸
」の船橋に
氷川神社
の
祭神
を祀っているように、「秩父丸」にも
秩父神社
を勧請していた。改名に際し、「鎌倉丸」は新たに鎌倉宮から御祭神を奉安した。
本殿の後方にある土手の穴が、親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという古伝承がある。土窟で2段になっている。「鎌倉覧勝考」によれば、上段は入り口から0.1寸ばかりの深さで2間四方余あり、下段はさらに7、8尺下って9尺四方あり、周囲は赤い土であるといい、さらに、「太平記」に「建武元年五月二日大塔宮を足利直義うけ取鎌倉へ下し奉つて、二階堂谷に土籠を塗てぞ置参らせける」とあり、土の牢とは記されておらず、薬師堂谷の御所または牢の御所と書いているものもあり、土籠は塗りごめた土蔵であり、四面を禁錮して入れ置いたのであるから、牢の御所と称したにすぎないという。