2015.04.18更新

氣多大社(気多大社)

        氣多大社

所在地 石川県羽咋市寺家町ク1
位置 北緯36度55分33.63秒 東経136度46分2.79秒
主祭神 大己貴命
社格 式内社名神大
能登国一宮
国幣大社
創建 (伝)第8代孝元天皇または第10代崇神天皇年間
本殿の様式 三間社両流造檜皮葺
別名 気多大神宮
例祭 4月3日
気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市にある神社式内社名神大社)、能登国一宮旧社格国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。
祭神の大己貴命出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。古くから北陸の大社として知られ、中世近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。
本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。
社伝(『気多神社縁起』)によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという[1]
また、『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子とし、能登半島一体を巡行して鬼神を追放したと記される[1]。『気多社祭儀録』では、祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される[1]
一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現・気多本宮)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる[1]
奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっており、『万葉集』に越中国司として赴任した大伴家持天平20年(748年)に参詣したときの歌が載っている(文献上初見[2])。
国史では、古くは『続日本紀神護景雲2年(768年)の記事が見え[原 1]、同記事では封戸20戸・田2町が支給されている[1]。また神階に関しては、延暦3年(784年)の正三位から[原 2]貞観元年(859年)に従一位勲一等までの叙位・叙勲の記事が載る[原 3]
平安時代中期の『延喜式神名帳』では「能登国羽咋郡 気多神社」として名神大社に列している。また、能登国一宮とされた。
中世近世の間、畠山氏前田氏など歴代の領主からも手厚い保護を受けた。
明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列し、大正4年(1915年)に国幣大社に昇格した。戦後は神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、後述のように平成22年(2010年)に神社本庁に属さない単立神社となった。
平成17年(2005年)11月28日づけで神社本庁との包括関係を解消し単立神社となる決定を行い、同時に「財産の管理および処分に関する役員会の決議事項は神社本庁に報告する」と定めた神社規則変更を決議した。
石川県はこの規則変更決議を認証するも、平成18年(2006年)1月に神社本庁が県の認証を取り消すよう文部科学省に取り消しを申請し、2006年5月に文部科学省は石川県の認証を取り消す決断をくだす。これにより、神社本庁からの離脱が事実上、無効となった。神社本庁は2006年8月29日附で宮司を懲戒免職とし、翌30日に石川県神社庁長(当時)を兼任宮司に特任した。
気多大社側ではこれらの処分を不服とし、2006年9月、文部科学省に対する提訴を行った。平成19年(2007年9月13日東京地裁は気多大社側の主張を認める判決を出したが、平成20年(2008年)9月、二審の東京高裁では一審判決を破棄し、文部科学省の判断を支持する判決を出した。気多大社側は最高裁へ上告した。平成22年(2010年4月20日最高裁第3小法廷は二審判決を破棄し、気多大社による神社規則変更を認め、「宗教法人の規則は、財産処分に関する事項を定めた規定が存在しなくても、それだけで宗教法人法に違反するとはいえない。」と指摘して文部科学省の裁決を違法だと結論づけ、同裁決の取り消しを命じた一審判決が確定した[3][4]
主要社殿のうち本殿は、江戸時代天明7年(1787年)の造営。三間社(桁行3間、梁行4間)の類例の少ない両流造で、檜皮葺である。拝殿は、江戸時代の承応2年(1653年)または承応3年(1654年)に大工・山上善右衛門による造営とされる。入母屋造妻入で、檜皮葺。神門は、安土桃山時代(社伝によれば天正12年(1584年))の造営。切妻造、四脚門で、檜皮葺。これら3棟はいずれも国の重要文化財に指定されている。
神庫は本殿と同じく、江戸時代の天明7年(1787年)の造営。方一間の校倉造檜皮葺。もとは「宝蔵」と呼ばれていた。随身門は、境内南東の旧参道口に立つ。本殿と同じく、江戸時代の天明7年(1787年)の造営。三間一戸の八脚門、切妻造。いずれも石川県の有形文化財に指定されている。
境内裏手には、原生林の社叢が広がっている。「入らずの森」として立ち入りは禁止されている。社叢内には、一般の参拝はできないが奥宮が安置されている。30,000平方メートルの広さの中にタブの木はじめツバキシイクスノキカラタチなどの常緑広葉樹が密生し、樹齢百年をこえる木が林立している[5]。国の天然記念物に指定されている。
また、一の鳥居は神社から表参道を進んだ突き当たりに、海に面して立つ