2016.09.20更新

光前寺


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         弁財天

        不動明王

        霊犬早太郎

      一隅を照らそう

所在地 長野県駒ヶ根市赤穂29番地
位置 北緯35度44分5.45秒 東経137度53分43.58秒
山号 宝積山
宗派 天台宗
寺格 別格本山
本尊 不動明王
創建年 貞観2年(860年
開基 本聖
正式名 宝積山 無動院 光前寺
札所等 信濃五大寺
伊那七福神(弁財天
文化財 弁天堂(国の重要文化財)
国の名勝
光前寺(こうぜんじ)は、長野県駒ヶ根市にある天台宗の別格本山の寺院である。山号は宝積山(ほうしゃくさん)。院号は無動院。本尊は不動明王で秘仏。天台宗信濃五山(戸隠山顕光寺善光寺更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられた。1967年昭和42年)、庭園が国の名勝に指定された。また、霊犬早太郎説話でも知られている。
円仁の弟子、本聖の開基と伝わるが、古記録は武田勝頼織田信忠との戦いなど数々の罹災により失われた。貞観2年(860年)創建時は現在より200メートル木曽山脈寄りのところにあったらしい。天正慶長のころには武田氏羽柴氏などの庇護を受け、また、佐久郡諏訪郡にまでその寺領を広げた時期もあったという。江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けた。明治に入り塔頭末寺の多くを廃されてしまった。
光前寺は杉の林の中にあり、樹齢数百年の巨木も多い。蘭渓道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、さらにはヒカリゴケが自生している。境内全域が、「光前寺庭園」の名で名勝に指定されている。
早太郎説話は、当寺や、その他各地で語られているものであるが、その内容は類型的である。また、早太郎の名は、伝わる地方により異なり、遠江国では悉平太郎(しっぺいたろう)という。駒ヶ根でも、疾風太郎(しっぷうたろう)という別名が伝わっている。
昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていた。その頃、遠江の見附村では、毎年田畑が荒らされ、その被害に困った村人は矢奈比売神社の祭りの夜に村の娘を人身御供として神様に差出し、これを鎮めていた。
延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、早速信濃へ行き、光前寺で早太郎を探し出し和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって怪物(老ヒヒ)と戦い、見事退治した。
戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されている。また、本堂の横に早太郎の墓がまつられている。
この話は「猿神退治」として、まんが日本昔ばなしの昭和51年7月31日放送分でアニメ化されている。
遠江国見附村は、現在の静岡県磐田市見付である。この話が縁となり、 1967年昭和42年)1月12日から駒ヶ根市と磐田市は友好都市関係となっている。

旧・竹村家住宅

この住宅はもと竹村源吉氏の家で、駒ヶ根市中沢大津渡(おんど)にありましたが、重要文化財に指定後、郷土の文化遺産をよりよく保存するために、駒ヶ根市が譲り受け、移築したものです。
移築工事は文化庁の指導のもとに行われ、綿密な調査に基づいて建物が造られた当時の姿に復原修理されました。
竹村家は江戸時代には代々名主をつとめた家柄です。この家の建立年代は明らかではありませんが、江戸時代中頃(約270年前)と考えられています。名主だけに許された式台を備え、外観も堂々として、これだけの大きさの民家は、当時村に1〜2軒しかありませんでした。江戸末期になると伊那地方の名主階級の家は、板葺の本棟造(ほんむねづくり)に変わり、こんな大きな茅葺の家は造られなくなります。旧竹村家住宅は当地方の江戸中期上層農家の典型として、貴重な民家なのです。