2017.09.05更新
神倉神社
神倉神社
所在地
和歌山県新宮市
神倉1-13-8
位置
北緯33度43分20.121秒
東経135度58分58.238秒
主祭神
天照大神
、
高倉下命
社格
等
村社
創建
128年
(
景行天皇
58年)
例祭
2月6日(
御燈祭
)
神倉神社(かみくらじんじゃ、かんのくらじんじゃ)は
和歌山県
新宮市
の
神社
。
熊野三山
の一山である
熊野速玉大社
の
摂社
。境内地は国の
史跡
「熊野三山」の一部、および
世界遺産
「
紀伊山地の霊場と参詣道
」の一部である。
神倉神社は、
熊野速玉大社
の摂社である。
新宮市
中心市街地北西部にある
千穂ヶ峯
の支ピーク、神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)に鎮座し、境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。山上へは、
源頼朝
が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。
山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、
平安時代
の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられている。
神倉神社の歴史的な創建年代は
128年
頃と考えられているが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。『
古事記
』『
日本書紀
』によれば、神倉山は、
神武天皇
が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるという。このとき、天照大神の子孫の
高倉下命
は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした
八咫烏
の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。しかし、「熊野権現御垂迹縁起」(『
長寛勘文
』所収)には神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、天磐盾を神倉山と結びつける所説は
鎌倉時代
以降に現れたものと考えられている。
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