2015.01.17更新

青岸渡寺

        普照殿

         圓通殿

所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
位置 北緯33度40分9秒 東経135度53分24秒
山号 那智山
宗旨 天台宗
本尊 如意輪観音菩薩
創建年 伝・仁徳天皇治世(4世紀
開基 伝・裸形上人
札所等 西国三十三所第1番
神仏霊場巡拝の道第2番
東海近畿地蔵霊場特別
東海白寿三十三観音特別
文化財 本堂、宝篋印塔、那智山経塚出土品8点
重要文化財)、熊野三山史跡

青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗寺院西国三十三所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩
本堂[1]および宝篋印塔[2]は国の重要文化財ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部[3]
熊野三山の信仰が都の皇族貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。寺号は秀吉大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる[4]

         大黒天

         御詠歌