2014.06.12更新
愛宕念仏寺
千手観音
所在地
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
位置
北緯35度1分52.95秒
東経135度39分40.04秒
山号
等覚山(とうかくざん)
宗派
天台宗
本尊
千手観音
創建年
8世紀
中頃
開基
称徳天皇
正式名
等覚山 愛宕念仏寺
別称
千二百羅漢の寺
文化財
本堂(重要文化財)
金剛力士像(京都市指定文化財
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は
京都府
京都市
右京区
の
嵯峨野
にある
天台宗
の
仏教
寺院
。 本尊は
厄除千手観音
、別名千二百羅漢の寺。
愛宕山
参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる。
8世紀中頃、
称徳天皇
により京都・東山、今の
六波羅蜜寺
近くに愛宕寺として創建。平安時代初めには
真言宗
東寺
派の末寺となっていたらしい。すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる
鴨川
の洪水で堂宇を流失。廃寺同然を、
醍醐天皇
の命により
天台宗
の
千観内供
(伝燈大法師)が復興した。千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。 この際いったんは七堂伽藍を備え
勅願寺
としての体裁を整えたが、その後は興廃を繰り返し、最後は
本堂
、
地蔵堂
、
仁王門
を残すばかりとなった。1922年それらを移築して現在地での復興を目指すが失敗。あまりの荒れように、1955年に
天台宗
本山から住職を命じられた
西村公朝
も、引き受けるのをためらったという。それを
清水寺
貫主・
大西良慶
の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、おまえは復興者、復興者やといってもらえる。わしも手伝ってやるから」(※)の激励で復興に取りかかった。以来、仏師として全国を飛び回る傍ら、本堂、地蔵堂、仁王門などを整備した。 素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年。当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達した。