2016.06.07更新

大雲院


トップページへ戻る

所在地 京都市東山区祇園町南側594-1
位置  北緯35度0分7.54秒 東経135度46分48.21秒
山号  龍池山
宗派  浄土宗系単立
本尊  阿弥陀如来
創建年 1587年(天正15年)
開山  貞安
開基  織田信忠
文化財 絹本著色前田玄以像・
    紙本墨書正親町天皇宸翰消息(重要文化財)
    祇園閣(登録有形文化財)
大雲院(だいうんいん)は、京都市東山区にある浄土宗系単立寺院。山号は龍池山。本尊は阿弥陀如来。寺内は通常は非公開である。通称:銅閣寺または銅閣(後述を参照)。
天正15年(1587年)、正親町天皇の勅命を受けるという形で、貞安(じょうあん)を開山として、織田信長の子信忠の菩提を弔うために、信忠が討たれた二条御所跡(烏丸御池)に創建したのが初めで、大雲院という寺院名は、信忠の法名からつけられた。
しかし同年中に都市政策(京都改造)を理由として、豊臣秀吉の命にて四条寺町南(四条河原町、下京区)に移るように指示され、天正18年頃に四条に移ったと言われる。後陽成天皇により勅願所ともなった。
また境内墓地には石川五右衛門の墓があり、これは処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡した縁による。 その後、度々、火災で焼失し、明治初期に再建されたが、周囲が繁華街となったことで、1972年(昭和47年)に、島屋京都店増床に伴い、東山区の大倉喜八郎旧邸を買得して再移転した。
2014年、京都市下京区の河原町通四条の発掘調査で、旧大雲院の敷地跡から豊臣秀次の供養塔の一部とみられる石材が見つかった。大雲院は秀次の切腹後、三条河原で処刑された側室らを供養したとする文献があった。
同じく織田信忠の慰霊のために、妙心寺にも同名の大雲院が建立され、これには信忠の乳母慈徳院と九天宗瑞らが尽力した。この院は、1692年、九天宗瑞が開いた隣接する長興院と合併されて現存しない。ここには二条城で九死に一生を得た織田長益の子長孝が葬られたという記録がある。