2014.05.23更新
平野神社
平野神社
所在地
京都府
京都市
北区
平野宮本町1
位置
北緯35度01分57秒
東経135度43分55秒
主祭神
今木神
久度神
古開神
比売神
社格
等
式内社
(
名神大
)
二十二社
(上七社)
旧
官幣大社
別表神社
創建
延暦
13年(
794年
)
本殿の
様式
比翼
春日造
(平野造)
札所等
神仏霊場巡拝の道
94番(京都14番)
例祭
4月2日
平野神社(ひらのじんじゃ)は、
京都府
京都市
北区
にある
神社
。
式内社
(
名神大社
)、
二十二社
(上七社)の一社。
旧社格
は
官幣大社
で、現在は
神社本庁
の
別表神社
。
神紋
は「桜」。
延暦
13年(
794年
)、
桓武天皇
による
平安京
遷都
にともない、
平城京
で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まる。元々今木神は平城京の田村後宮に、久度神・古開神は大和国平群郡の式内・久度神社に祀られていた。比売神は
承和
年間より祀られるようになったものである。
『
文徳天皇実録
』によれば、
仁寿
元年(
851年
)、今木神に
従二位
、久度神・古開神に
従四位
、比売神に
正五位
の
神階
が授けられ、その中で当社のことを「平野
神宮
」と記述している。その後も神階は昇って行き、
貞観
元年(
859年
)には今木神に最高位の
正一位
の神階が授けられている。『
延喜式神名帳
』には「山城国葛野郡 平野祭神四社」と記載され、
名神大社
に列していた(2005年まで鳥居の扁額には「平野大社」と銘記されていた)。また、祭神について「平野大神」「皇大御神」という称号も使用されていた。 例大祭の平野祭には
皇太子
が奉幣する定めになっていた。また歴代天皇の行幸も
円融天皇
から
後醍醐天皇
までの17帝21回を記録するなど天皇家の崇敬も厚くそれに伴い、
源氏
、
平氏
、
大江氏
、
菅原氏
などの
公家
の
氏神
にもなった。中世には
二十二社
上七社の一社となった。
神紋
は桜で、今も桜の名所として名高い。
平安時代
の中ごろ
花山天皇
によって境内に数千本の桜が植えられたのが起源で、
寛和
元年(
985年
)4月10日に臨時勅祭が開かれ、
平野桜祭り
として今に残る。
応仁の乱
をはじめたびたび社殿が焼失し、そのたびに再建を繰り返し、
天文法華の乱
によって、社殿および社領は完全に荒廃したといわれる。
江戸時代の伝奏役は、代々、堂上平家の
西洞院家
が勤めた。
1871年
(
明治
4年)に
官幣大社
に列格した。