2017.04.19更新

宝徳寺


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      厄除阿弥陀如来

宝(寶)徳寺(ほうとくじ)は清水寺に向かう清水坂にある。山号は霊光山。清水寺の塔頭。
浄土宗西山深草派、本尊は阿弥陀如来。
創建、変遷の詳細は不明。  古くより、清水寺一山の無常寺として存在したという。開創は不明という。
鎌倉時代、時宗開祖・一遍(1239-1289)が開いたともいう。仲光院の北にあったという。(『拾遺都名所図会』)
安土・桃山時代、1598年、成就院9代・玉圓が建立したともいう。
江戸時代、1604年、「念仏道場」という小庵があったという。(『坊目誌』)
1663年、徳空(齢誉)が道場を改め、堂宇を造営したともいう。(『坊目誌』)
1667年、徳空が中興したもという。(『京都府地誌』)
1786年、「京都洛中洛外図絵」に記されている。
本尊の阿弥陀如来は、飛鳥時代、608年、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)が42歳の厄除け守護の本尊仏として、自刻したとの伝承がある。
宮中で無量寿経を説いた際に、経文中の「神力大光を演べて、普く無際の土を照らし、三苦の闇を消除して、広く諸の厄難を救い玉う」を、深く信心し刻んだものという。ただ、後世、他所より遷されたとみられている。
脇壇に1面2臂の魚籃(ぎょらん)観世音菩薩を安置する。三十三観音に数えられる観音菩薩の一つとされる。唐の時代、魚を扱う美女は、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探して結婚した。女性はまもなく亡くなり、法華経を広める観音とされた。魚籃観音、また、同体の馬郎婦(めろうふ)観音として信仰されたという。羅刹・毒龍・悪鬼を厄除するという。