2015.09.18更新
上御霊神社
御霊社
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所在地
京都市上京区
上御霊前通
烏丸
東入上御霊竪町495
位置
北緯35度02分11秒
東経135度45分42秒
主祭神
崇道天皇
他部親王
井上皇后
火雷神
藤原大夫神
文屋宮田麿
橘逸勢
吉備大臣
社格
等
府社
創建
貞観5年(863年)
例祭
5月18日
(御霊祭
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は、
京都市
上京区
にある
神社
である。旧
社格
は
府社
。上御霊神社という社名は
下御霊神社
に対応するもので、現在は宗教法人としての正式名を「御靈神社」としている。
桓武天皇
の時代、各地で疫病が流行した。これは
御霊
の
祟り
であるとして、
貞観
5年(
863年
)5月20日、
平安京
の
神泉苑
で
御霊会
が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使(
藤原仲成
)・橘逸勢・文屋宮田麿らであった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。
現在の下御霊神社を下出雲寺御霊堂、当社は上出雲寺御霊堂と称した。朝廷の篤い崇敬を受け、
至徳
元年には
正一位
の
神階
を授けられた。
室町時代
の
文正
2年(
1467年
)1月18日、失脚した
管領
の
畠山政長
と
畠山義就
との私闘が当社境内の森で行われた(
御霊合戦
)。この戦いは
応仁の乱
の前哨戦となり、応仁の乱発祥の地とされる。
なお、
延喜式神名帳
に記載される出雲井於神社(式内大社)や出雲高野神社(式内小社)を当社に比定する説もあるが、継続性は不詳であり、神社側の由諸ではこれらの式内社について言及していない。