2017.08.17更新
壬生寺
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中院 大悲殿
歯薬師
地蔵尊
所在地
京都府京都市中京区
坊城通
仏光寺
上ル
壬生
梛ノ宮町
31
位置
北緯35度0分5.76秒
東経135度44分36.02秒
宗派
律宗
寺格
大本山
本尊
地蔵菩薩
(重要文化財)
創建年
991年
(
正暦
2年)
開基
快賢
別称
地蔵院、宝幢三昧寺
札所等
洛陽三十三所観音霊場
28番(中院)
京都十二薬師霊場
4番
文化財
木造地蔵菩薩立像、錫杖、列仙図屏風、
大念仏堂(重要文化財)
壬生狂言(重要無形民俗文化財)、
壬生六斎念仏踊り(重要無形民俗文化財)
壬生寺(みぶでら)は、
京都市
中京区
壬生
にある
律宗
大本山の
寺院
である。本尊は
地蔵菩薩
、開基は
園城寺
(三井寺)の僧快賢である。
中世
に寺を再興した
融通念仏
の
円覚
上人が創始したとされる「
大念仏狂言
」を伝える寺として、また
新選組
ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺、心浄光院と号した。
園城寺(三井寺)の僧快賢が、
991年
(
正暦
2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗(総本山は奈良・
唐招提寺
)寺院である。
中世に
融通念仏
の
円覚
上人が中興。大念仏会の際に上演される
重要無形民俗文化財
の「壬生大念仏狂言」(
壬生狂言
)は円覚上人が始めたものと伝えられる。
江戸時代
後期の
幕末
には京都の治安維持を目的に活動した
新選組
(当初は
壬生浪士組
といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。当寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長
近藤勇
の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも
会津若松市
、
三鷹市
などに存在する)。
当寺旧本尊の
地蔵菩薩
半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、
1962年
(昭和37年)7月25日、放火により本堂とともに焼失した。現在の本尊・地蔵菩薩立像は、火災後に本山の唐招提寺から移されたものである。
現在の本堂は
1970年
(昭和45年)の再建である。境内には他に
大念仏
堂(狂言舞台、
重要文化財
)、近藤勇銅像、壬生塚、千体仏塔(
パゴダ
様式の
仏塔
に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。