2014.08.01更新
蓮華寺
瑞光
所在地
京都府京都市左京区上高野八幡町1
位置
北緯35度3分50.66秒
東経135度47分59.99秒
山号
帰命山
宗派
天台宗
本尊
釈迦如来
創建年
寛文
2年(
1662年
)再興
開山
実蔵坊実俊
開基
今枝近義
別称
洛北蓮華寺
文化財
紙本著色山王霊験記 ほか
蓮華寺(れんげじ)は
京都市
左京区
にある
天台宗
の寺院。山号は帰命山(きみょうざん)。近世初期に造営された池泉鑑賞式庭園によって知られる。
蓮華寺は
鴨川
源流のひとつの
高野川
のほとり、かつての
鯖街道
(現・
国道367号
線)の京都口の傍ら、上高野の地にある。しかし、もとは七条塩小路(現在の
京都駅
付近)にあった西来院という
時宗
寺院であり
[1]
、
応仁の乱
に際して焼失したものを
江戸時代
初期の
寛文
2年(
1662年
)に、
加賀前田藩
の家臣、
今枝近義
が再建したものである。
上高野は、かつて近義の祖父、
重直
の庵があった土地であった
[2]
[3]
。重直は、
美濃国
出身の武士で、
豊臣秀次
に仕えた後、
加賀前田家
に招かれた。晩年に至って得度し、宗二(そうじ)居士と号して、詩書や絵画、茶道に通じた文人として草庵を結んだ。また、仏道への帰依の念も深く、上高野の地に寺院を建立することを願っていたが、果たせずして
寛永
4年(
1627年
)に死去した。近義が蓮華寺を造営したのは、祖父の願いに応え、菩提を弔うためと考えられている
[2]
。
上述のように、蓮華寺の起源である西来院は本来は時宗寺院であった。しかし、近義による再建に際して、実蔵坊実俊(じつぞうぼうじっしゅん)という
比叡山延暦寺
の僧が開山として招かれたことから、比叡山延暦寺を本山とし、延暦寺実蔵坊の末寺のひとつとして天台宗に属する寺院となった。また、現在の寺号は、境内地がかつて同名の廃寺の跡地であったことに由来する
[1]
。
蓮華寺の造営にあたって、詩人・
書家
で
詩仙堂
を造営した
石川丈山
、
朱子学
者の
木下順庵
、
狩野派
画家の
狩野探幽
、
黄檗宗
の開祖である
隠元隆琦
や第二世の
木庵性瑫
らが協力した
[2]
ことが、
天和
元年(
1681年
)付の
黒川道祐
の「東北歴覧之記」(『近畿游覧誌稿』所収)に記されている
[4]
[5]
。また、
天明
6年(
1786年
)の「
拾遺都名所図会
」には境内図が描かれている
[4]
[6]
。上述のような文人たちの協力を得て造営されたことにより、蓮華寺は黄檗宗の様式の建築と江戸初期の池泉鑑賞式の典型ともいえる庭園をもつ寺院となった
[7]
。