2016.06.20更新
六道珍皇寺
薬師如来
閻魔大王
薬師如来
小野篁卿
日光菩薩
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)は、
京都市
東山区
にある
臨済宗建仁寺派
の寺院。山号は大椿山。本尊は
薬師如来
。
8月7
-
10日
の六道詣り、
小野篁
が
冥界
に通ったと伝わる井戸(寺宝展等の特別公開時を除き非公開)で知られる。通称:六道さん。この付近が「六道の辻」であるとされる。
この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現在の松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている
[1]
。
この寺の創建については諸説あって不詳で、開基についても
大安寺
の僧・慶俊、
空海
、
小野篁
などとする説がある。かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身ともいう
[2]
。
東寺百合文書
の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(長保4年・1002年)には、珍皇寺は
承和
3年(
836年
)に山代淡海が創建したとある
[3]
。
藤原道長
の日記『
御堂関白記
』寛弘元年(1004年)3月12日条にある「珎光寺」は珍皇寺を指すとみなされる。近世の地誌類には「珍篁寺」と書かれることもあり、寺号は本来「ちんのうじ」ではなく「ちんこうじ」と読まれていたと考えられている
[4]
。珍皇寺には念仏寺、愛宕寺(おたぎでら)などの別称もあり、『伊呂波字類抄』『山城名跡巡行志』は、珍皇寺の別名を愛宕寺とするが、愛宕寺が珍皇寺と念仏寺に分かれたともいう
[5]
。東山区松原通大和大路東入る弓矢町(珍皇寺の西方)には念仏寺という寺があったが、大正年間に右京区嵯峨鳥居本に移転した(
愛宕念仏寺
の項を参照)。
鎌倉時代
までは東寺に属していたが、
室町時代
に
建仁寺
の聞渓良聡が入寺して再興、
臨済宗
に改められた。
明治
に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、明治43年(
1910年
)に独立した。
所在地
京都府京都市東山区大和大路通
四条下ル4丁目小松町595
位置
北緯34度59分54.42秒
東経135度46分30.79秒
山号
大椿山
宗派
臨済宗建仁寺派
本尊
薬師如来
創建年
伝・
承和
年間(
834年
〜
848年
)
開基
伝・山代淡海
中興年
室町時代
中興
聞渓良聡
別称
珍皇寺、宝皇寺、鳥部寺、念仏寺、
愛宕寺、六道さん
文化財
木造薬師如来坐像(国の重要文化財)
月光菩薩
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