2016.06.12更新

最勝院


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        駒大僧正

南禅寺の東に、南禅寺塔頭の駒ヶ瀧最勝院(こまがたき さいしょういん)はある。境内背後の東山山峡は、鎌倉時代より「神仙佳境」と呼ばれ、霊地として知られていたという。
臨済宗南禅寺派。
古くより勝運の神として知られた。
創建、変遷の詳細は不明。  鎌倉時代、天台密教の駒道智大僧正が、この地に隠棲したことに始まるという。
鎌倉時代末期、文永年間(1264-1275)、第90代・亀山天皇は、この地に離宮を営んだ。その際に、僧正を土地の鎮守として祀ったという。さらに、離宮を禅寺に改め、南禅寺の基を開いた際に、僧正を護法神として祀ったという。
近代、1912年頃まで、境内は現在の南禅寺寺務所の地にあり、最勝院般若殿と呼ばれていたという。
1915年、現在地に移り、庫裏新築した際に、高徳庵(綾部市上林)を廃して寺名を移し塔頭とした。
1917年、駒道智大僧正の故地である現在地に移転したという。境内は、臨済宗の禅僧・夢窓国師(夢窓疎石、1275-1351)の塔所上にあったという。