2016.11.25更新

吉田神社


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         今宮社

         大元宮

        吉田神社

所在地 京都府京都市左京区
吉田神楽岡町30番地
位置 北緯35度1分31秒
東経135度47分5秒
主祭神 建御賀豆智命
伊波比主命
天之子八根命
比売神
社格 式外社
二十二社(下八社)
官幣中社
別表神社
創建 貞観元年(859年
本殿の様式 春日造
例祭 4月18日
主な神事 節分祭
吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都府京都市左京区吉田神楽岡町吉田山にある神社二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社
貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。『延喜式神名帳』への記載はない(式外社)が、永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列された。
鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(明治5年に宮中に遷座した)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。寛永5年(1665年)、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。