2015.07.07更新
京都霊山護国神社
京都霊山護国神社
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所在地
京都市東山区清閑寺霊山町1
位置
北緯35度00分00秒 東経135度46分59秒
主祭神
護国の英霊約7万3千柱
社格
等
内務大臣指定護国神社・別表神社
創建
明治
元年(1868年)
例祭
4月28日
・
10月14日
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)は、
京都府
京都市
東山区
にある
神社
である。神紋は桜に菊。
1862年
(
文久
2年)、
時衆
霊山派の
正法寺
の朱印地
[1]
のなかの神道葬祭場霊明社において有志者による神葬祭が行われた。祭神は
菊理媛神
・速玉男命・事解男命の3神(他に相殿3神)。
1868年
6月29日
(
慶応
4年
5月10日
)、
明治天皇
から
維新
を目前にして倒れた
志士
たち(
天誅組
など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの
詔
・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の
公家
や
山口
・
高知
・
福井
・
鳥取
・
熊本
などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、
招魂社
である。
靖国神社
より古い歴史を持つ。
当初の社号を霊山官祭招魂社と称し、社格にはとくに「官祭社」に列し国費で営繕されてきた。
1936年
(
昭和
11年)、
支那事変
(
日中戦争
)をきっかけとして国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀ろうという運動がおき、霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、
境内
を拡大して新たに社殿を造営した。
1939年
(昭和14年)
4月1日
、
内務大臣
布告によって現在の社号である京都霊山護国神社と改称された。戦後は
宗教法人
・
神社本庁
の包括下におかれ、国家の手を離れた。GHQ占領下においては京都神社に改称していたが、独立後は元の社名に復した。
1970年
(昭和45年)、境内に明治維新関係の資料を展示する「
霊山歴史館
」が開館した。
2002年
(
平成
14年)、神社本庁との包括関係を解消。
祭神の中には京都で暗殺された
坂本龍馬
も含まれており、境内に銅像が作られているほか、誕生日であり命日でもある
11月15日
には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われる(誕生日・命日は本来は
旧暦11月15日
だが、祭は新暦11月15日に行われる)。
龍馬のほかに、
木戸孝允
、
中岡慎太郎
、
頼三樹三郎
、
梅田雲浜
、
吉村寅太郎
、
平野国臣
、
久坂玄瑞
、
高杉晋作
、
宮部鼎蔵
ら幕末勤王の志士1,356柱、明治以降の
日清戦争
、
日露戦争
、
太平洋戦争
などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られている。 また、平成24年4月には
特攻勇士の像
が建立された。