2015.05.24更新
明治天皇伏見桃山陵
所在地
京都府
京都市
伏見区
位置
北緯34度56分13.8秒
東経135度46分52.3秒
形状
上円下方墳
築造年代
1912年
(
大正
元年)
被葬者
明治天皇
史跡指定
宮内庁治定「伏見桃山陵」
伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ、ふしみももやまりょう)は、
京都府
京都市
伏見区
にある
明治天皇
の
陵
。
1912年
(明治45年)
7月30日
、
明治天皇
は東京の宮城・
明治宮殿
で崩御した。同年(
大正
元年)
9月13日
に東京・青山の
帝國陸軍
練兵場
(現在の
神宮外苑
)にて
大喪儀
が執り行なわれた後、翌
9月14日
に埋葬された。
陵の敷地は、
豊臣秀吉
の築いた
伏見城
の
本丸
跡地で、京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものという。すぐ東には皇后である
昭憲皇太后
の伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)が隣接する。また、
桓武天皇
の
柏原陵
にもほど近い。周囲一帯は
宮内庁
の管理地となっており、京都市南西部から旧山陽道、旧西海道地域の陵墓を管理する
宮内庁書陵部
桃山陵墓監区事務所がある。
墳丘は古式に範を採った上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面には
さざれ石
が葺かれている。方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を、石蓋をしてコンクリートで固めた。上円下方墳の墳形は
天智天皇陵
がモデルにされたという
[1]
。
幕末
の
孝明天皇
についで火葬にせず、
天武天皇
以前の古制に戻した
[2]
。
歴代天皇の陵は本陵に至るまで、すべて近畿以西に作られているが、
大正天皇
(多摩陵)と
昭和天皇
(武藏野陵)の各陵は
東京都
八王子市
の
武蔵陵墓地
に作られている。