2016.04.11更新

多度大社


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         多度大社

所在地 三重県桑名市
多度町多度1681
位置 北緯35度08分07.8秒
東経136度37分21.5秒
主祭神 天津彦根命
社格 式内社(名神大)・
国幣大社・別表神社
創建 雄略天皇の御代
例祭 5月4日5日
主な神事 上げ馬神事・流鏑馬祭
多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町多度にある神社である。式内社名神大)で、旧社格国幣大社。三重県では伊勢神宮二見興玉神社椿大神社に次いで4番目に参拝者数の多い神社であり、2013年には1,407,000人が参拝した[1]
天津彦根命天照大神の第3子)を主祭神とする。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われた。境内には天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称される。
社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝える。古代には、社殿背後の多度山神体山としていた。763年天平宝字7年)、僧・万願によって神宮寺が創建された。863年貞観3年)、神階正二位に累進した。延喜式神名帳では名神大社に列し、伊勢国二宮として崇敬された。神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。平安後期には伊勢平氏により崇敬され、軍神としても信仰された。
中世には国司北畠氏が保護していたが1571年元亀2年)、織田信長長島一向一揆平定の際に兵火により焼失した。1605年慶長10年)、桑名藩主・本多忠勝により再建された。
1873年明治6年)、県社に列格し1915年大正4年)に国幣大社に昇格した。