2016.05.16更新
青葉神社
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青葉神社
所在地
宮城県
仙台市
青葉区
青葉町7番1号
位置
北緯38度16分58.2秒
東経140度51分46.3秒
主祭神
武振彦命(
伊達政宗
)
社格
等
県社
創建
1874年
(明治7年)
2月7日
例祭
10月9日
・
10日
青葉神社(あおばじんじゃ)は、
宮城県
仙台市
青葉区
青葉町にある
神社
である。
旧社格
は県社。
1874年
に創建され、武振彦命(たけふるひこのみこと、
仙台藩
祖
伊達政宗
の
神号
)を祀る。
江戸時代
後期から
明治時代
初期に流行した
藩祖
を祀った神社のひとつ。
1873年
(
明治
6年)10月14日、旧藩士の松本喜蔵、丹野彦三郎・小泉長善を総代とした住民が、伊達政宗を祀る神社を建設する許可を宮城県に願い出た。松本らの言うところでは、
天保
の初年(
1831年
頃)、政宗を祀る神社を建てる許しを当時の藩主
伊達斉邦
が朝廷から得た。
仁孝天皇
の勅額をもって、城に近い亀岡に社を築く計画だったが、なぜか中止になった。今、士民は貞山講という
講
を結び、忌日ごとに廟(
瑞鳳殿
)に集まり酒餞を供している。朝廷が許容してくれれば神明社(現在の
桜岡大神宮
)の隣に社壇を設け神祭したいという。宮城県は意見を付けずに
教部省
にとりつぎ、教部省が賛成して、12月22日に
太政官
が建設を許可した。この年には
徳川家康
を祀る
日光東照宮
が
別格官幣社
に認められており、諸藩の藩祖を祀る神社の創建申請が翌年にかけて全国で相次いでいた。
実際に神社が建てられたのは、
仙台城下町
を南北に貫いて北に向かう
奥州街道
(通町筋)が、
北山丘陵
にぶつかって東に向きを変えるところであり、すなわち、城下一の
繁華街
であった
国分町
から一直線に北に向かった突き当たりである。ここには
伊達家
の
菩提寺
で
北山五山
の中心の
東昌寺
があったが、東昌寺の敷地の西側3分の2が青葉神社に提供され、東昌寺の建物はその東側の
満勝寺
跡地寄りの現在地に移された。
1874年
(
明治
7年)
6月25日
に
県社
に列格されたのを機に、同年
7月1日
より創営に着手
[3]
[† 1]
。
本殿
・
拝殿
・
神楽
殿・
社務所
等を建設し、同年
11月11日
に落成、同年
11月15日
に鎮座祭を執り行った。
その後、
1922年
(
大正
11年)より社殿の改築を行い、
1927年
(
昭和
2年)に現在の社殿が完成した。
1930年
(昭和15年)には
別格官幣社
に列してほしいという請願があり、
貴族院
の賛成議決を得たが、他の功臣を祀る神社との権衡がとれないという理由で
内務省
が反対し、実現しなかった
2011年
3月11日
に起こった
東日本大震災
では、
鳥居
が倒壊する被害を受けた。
現在の
宮司
は、仙台藩
家老
・
白石城
主
片倉家
の16代当主である。ゲーム『
戦国BASARA
』のヒットにより、登場キャラクターである
片倉小十郎
の子孫に会うことを目的に当社を訪れる女性(
歴女
)が増加している。