支部名 |
更埴支部 |
宮司名 |
豊城憲和 |
神社名 |
佐良志奈神社(さらしなじんじゃ) |
鎮座地 |
千曲市若宮2番 |
本社祭神名 |
誉田別名(ほむたわけのみこと)[応神天皇] 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)[神功天皇] 大鷦鷯命(おおさざきのみこと)[仁徳天皇] |
例祭日 |
9月23日 |
延喜式内神社は当時更級郡の中に一一社あったが、その中の一社で、創立年月日は宝徳二年(一四五〇)本殿火災のため焼失し、古文書等はそれ以後のものしか現存しない。
社説語伝は允恭天皇の皇子黒彦王の勧請であって、大鷦鷯命は冠着山支嶺(八王子山)に祀ってあったが、仁和三年(八八七)の地震で現代の八王子組(当時千曲河原)に崩落したため、麓にあった若宮八幡宮に合祀した。
現在でも祭神四体(一体は祭神名不明)が現存している。
当時佐良志奈神社の摂社八王子社(祭神国之狭槌命)は、今も八王子に現存している。正平年中(一三四六〜一三七〇)後醍醐天皇の皇子宗良親王御潜居のおり暫時御所とした、その節の逆襲塚があり台石に『信州若宮永和二年丙辰六月十五日契約従衆四五人』と刻んである。
氏子は若宮組三組「黒彦・若桜宮(現在の若宮)・柴原(現在の芝原)」でなかでも黒彦組は戸数多く、市なども立って栄えていたが、天文十一年(一五四二)、慶長二年(一五九七)、同十六年(一六一二)等度々の水害にあい、千曲川の両岸に移住分村して現在に至っている。
明治十五年十月七日郷社に列ぜられる。