2014.11.12更新
朝日神社
朝日神社
御祭神:天照皇大神、天児屋根命 伊勢の神宮の神領地(御園)であった、清洲城下、朝日郷に鎮座されていたが、名古屋城の築城に伴い、慶長16年の夏、特に徳川家康公の請願により、正室、朝日姫様の氏神様である当神社を城下町碁盤割りの守護神として、氏子共々本丸の真南の現在地に移築遷座された。 城下町碁盤割りの唯一の神社として、清洲越しの士民の崇敬をあつめた。 特に万治3年(1660年)の大火により、この碁盤割りのことごとが焼失し、武家屋敷にも類焼したため、防火帯として、道路(当時の道幅は参間)の拡幅(15間幅)を行なった。これが今の広小路通 りである。 それまで神社仏閣の境内で行なわれてきた、小屋掛けの芝居や見せ物等の興行、露店もこの広小路通 りで行なうことが奨励された為、人の集まる所となり、広小路通りが一大繁華街となり、当神社の門前町となった。 明治元年3月、明治政府は神佛判然令(神仏分離令)発令したため、当社より約二丁ほど東の寺の中に村社として鎮座されていた、子守神社・児宮神社を当神社境内に移築、遷座した。 従前の総代を引き続き置き、村社としたが、同一境内に郷社・村社別々に運営していたが色々と問題があって、協議の結果 、村社を摂社にすると共に総代制度を廃止、郷社として一本化した。 古くは単に神明社、広小路の神明宮、広小路の朝日神明宮と称したのを清洲越しを後世に伝えるために「朝日神社」と改称された。 |
所在地 |
〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3-22-21 |