当社は名古屋市東区泉3-2-229に在り、此の往古は松樹繁茂せる広大なる山林なり。因って松山神社といい、近世天道宮、天道社又は松山天道とも呼べり。創立年代不詳。大永年中羽前羽黒山の修験隆海之を再興し、守護すること三十余年二代鍐海の後社殿大に荒廃す。元和年中美濃久々利の修験秀恵重興し且つ寿命院を建立別当となる。以来藩主の命に依り祈願所となり、崇敬篤く元文三年五月、御紋付の挑燈を寄付せらる。
明治の初年村社に列し、別当を廃して祠掌を置く。祭神中央は天照皇大神、右は品陀別命、左は市杵島姫命なり、社殿は神殿、拝殿、神饌所、神楽殿、社務所あり、境内に加茂社、猿田彦社、天神社、秋葉社、津島社、福守稲荷社がる。
例大祭は十月十四・十五日、月次祭毎月一、十五日、他に五月十四日に大祭、七月一日赤丸神事、七月二十五日茅輪神事がある。
古来土地の氏神として一般の崇敬篤く家内安全、商売繁盛、学業成就、開運厄除の守護神として広く庶民に信仰されている。