2015.02.11更新
総見寺
総見寺
所在地
愛知県
名古屋市
中区
大須
3丁目
位置
北緯35度9分35.4秒
東経136度54分10.88秒
山号
景陽山
宗旨
臨済宗
宗派
妙心寺派
本尊
薬師如来
創建年
天正
年間
開山
虎關師錬
忠嶽瑞恕(清洲越し後)
正式名
景陽山 総見寺
文化財
紙本著色渡唐天神像
総見寺(そうけんじ)は
名古屋市
中区
にある
臨済宗
妙心寺派
の
寺院
。
山号
は景陽山。
織田信長
ゆかりの寺院である。
初めは
伊勢国
大島村(現、
三重県
川越町
[1]
)に西明寺という講寺であった。
1332年
(元弘2年、正慶元年)虎關師錬が景陽山神賛寺と改め
後醍醐天皇
の勅により
官寺
となり、後に
伊勢国
安國寺
[2]
となった。
天正
の頃、廃寺になりかかっていたのを
織田信雄
が父の菩提を弔うために清洲北市場(現、
清須市
一場)に移し安土
総見寺
にならい総見寺
[3]
と改めた。忠嶽を開祖としたが、忠嶽は虎關を開山と仰ぎ自分は2世となった。
1611年
(慶長16年)
清洲越し
により名古屋南寺町(現、大須3丁目)に移る。その際、虎關は
東福寺派
であったので、法系を整えるために改めて忠嶽を開山とした
[4]
。
開山
以来、何人も
妙心寺
に進住している。
1630年
(寛永7年) 3月、
方丈
が消失したが、
1637年
(寛永14年)の秋に藩主
徳川義直
が再建する。
初めは
寺領
1326石であったが、慶長伊奈備前検地後は300石となる。
1883年
(明治16年) 4月、宮内省より本堂、庫裏再建のために金25円が下賜される。
本尊
は
薬師如来
坐像。
山門
は
仁王門
となっている。
塔頭
は初め12院あったが、江戸時代には光勝院、陽巖院、東林院、江月軒の5箇所に減少し、その後
光勝院
のみ残るが、
明治維新
後に塔頭から直末となっている。
信長公廟が存在するが、他の墓地は
第2次大戦
後の
土地区画整理事業
(
戦災復興都市計画
)により
平和公園
へ移動している。