2015.06.08更新
那古野神社
那古野神社
那古野神社(なごやじんじゃ)は、
愛知県
名古屋市
中区
丸の内
にある
神社
。旧
社格
は
県社
。
創建は
醍醐天皇
の御代、
延喜
11年(
911年
)と伝わる
[1]
。津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の
津島神社
)を総本社とする
天王社
のひとつで、当初は亀尾天王社と呼ばれた
[1]
。
天文
元年(
1532年
)の
合戦
で社殿を焼失したが
[2]
、天文8年(
1540年
)
織田信秀
により再建されている
[2]
。創建時より
若宮八幡社
と隣接していたが、
慶長
15年(
1610年
)の
名古屋城
築城の際に、当神社のみ三の丸の郭内に取り込まれ、若宮八幡社は城外に遷座した
[1]
。これより、三之丸天王社とも呼ばれ、城の
総鎮守
、城下町の氏神とされた。またこの時、新たに三之丸東照宮(現・
名古屋東照宮
)と隣接している。
明治維新
時に須佐之男神社と改称し、
1876年
(
明治
9年)名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧
藩校
明倫堂
跡地である現在地に遷座
[1]
、
1899年
(明治32年)に那古野神社と改称した。
1900年
(明治33年)には能舞台兼用の神楽殿が建てられて月次能が催されるなどしたという
[3]
。神社は
1945年
(
昭和
20年)3月19日の
名古屋大空襲
で本殿などを焼失
[4]
、戦後再建された。なお、前述の神楽殿は戦災を免れたが
1992年
(
平成
4年)に火災で焼失している
[3]
。
江戸時代
では、例祭である
天王祭
は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に若宮祭とは同日であった(現在は別の日)ことから祇園祭と総称された。車楽(だんじり)2両と見舞車10数両が曳き出され賑やかなものであったが空襲で車楽などの大半が失われ
[2]
、現在では車楽1両が境内に飾られるほか、若宮八幡社への
神輿渡御
が行われる
[5]
。
また、5月16日の若宮祭では、かつて隣接していた若宮八幡社の
山車
1両と
神輿
が、当神社との間を往復する。
所在地
愛知県
名古屋市
中区
丸の内
二丁目3-17
位置
北緯35度10分38.7秒 東経136度53分59.13秒
主祭神
須佐之男
神、
櫛稲田姫
神
社格
等
旧県社
創建
911年
(
延喜
11年)
例祭
天王祭
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